復活の主に出会っ
た弟子たちは、その後、故郷ガリラヤに戻り漁師に戻った。きっと弟子たちには懐かしく思えたでしょう。それは、この場所ガリラヤ湖で主イエスに出会い、従
う決心をしたところだからです。ある日、漁に出かけた弟子たちは夜通し漁をしたが魚一匹とれませんでした。夜明けごろ復活の主が岸辺に立ち言った。「舟の
右側に網を打ちなさい。そうすれとれるはずだ。そこで網をうってみると、網いっぱいに魚がとれた」(ヨハネ21:6)。復活した後、弟子たちに現れたの
は、これで三度目であった。主イエスは弟子たちに再確認させるために、ご自身を現わしてくださいました。
1.
最初に声をかけられたのは:弟子たちは主イエスが十字架につかれたのを見て、恐怖と絶望を味わいました。今までの月日は何のためだったのか?主イエスに
従った決心が間違っていたのか。従うと決めた判断が間違っていたのか。これは弟子も私たちも陥りやすい問題です。それは主イエスに従うことを自分で決めた
と思っているからです。しかし、呼ばれたからこそ、決意ができたのです。主イエスの招きが先にあったのです。「あなたがわたしを選んだのではない。わたし
があなたを選んだ」(ヨハネ15:16)主イエスが私を呼んでくださったのです。この事を忘れると、人生を見失ってしまいます。
2.
使命の確認:弟子たちは思い出した。あのとき、主イエスは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(19)と仰せられた。自分たちはその招き
に応えて従った。私たちがとるべきものは魚ではなく人間だ。きっと彼らの中にあのときの情熱がよみがえったでしょう。主イエスがご覧になっているのは過去
ではなく、いつも私たちの未来です。
3.
魚ではなく漁師になること:「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」これは私たちにも語られている御言葉です。私たちは、いつまでも魚でいて
はいけません。主イエスによって呼ばれ、集められ、仙川教会という舟の漁師になったのです。漁に出ない漁師はいません。私たちも舟の右側に網を降ろしてい
きたい。それは自分と同じような人に網を打つことです。その網は愛であり、赦しです。私を呼んでくださった主イエスを信じ、大胆に、また細やかに網を打ち
ましょう。