【主日礼拝メッセージ 】                                                            2016年4月10日 

奉仕が喜びに』
     

コリントの信徒への手紙一12章27-31節

山岸 明牧師

 主イエスは「人の 子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10:45)と仰せられた。私た ちも主イエスに従う者として、心から仕える者になりたいと願います。だが教会の奉仕を担うとき、私たちは様々な思いに支配されて、ほとんど義務的に行う場 合もあります。どうしたら「奉仕が喜びに」なっていくのでしょうか。

 初めに、主イエスがわたしを必要とされたことを忘れない。
主イエスは私を必要とされた「あなたがわたしを選んだのではなく。わたしがあなたを選んだ。」そして仙川教会へと導びかれ、ここに集められた。その目的は キリストの体なる教会を立ち上げるためです。「あなたがたはキリストの体であり、また一人一人はその部分です」(12:27)。それぞれが働きを担って、 しっかりと組み合わされていくのです。主イエスが愛と赦しの中で私を用いたいと願ったのです。私たちの奉仕はこの神の愛に対する感謝から始まっていきま す。すると「奉仕が喜びに」変わります。

 次に、私たちの奉仕は主イエスのため。
私たちが奉仕をする目的は「主イエスのため」です。主イエスは教会を通し、私たちを通して、その御心を成そうとされ、ご自身を現そうとされるのです。故 に、私たちがどんな奉仕をしているときでも、それは神の目的に仕えていると確信するこが大事です。これが自分の中ではっきりしたとき、たかが「奉仕」され ど「奉仕」に変わるのです。どんな小さな奉仕にも大きな愛を持って行うとき「奉仕が喜びに」変わってきます。

 最後に、奉仕は礼拝からスタートです。
教会には5つの目的があります。「礼拝・交わり・教育(訓練)・奉仕・伝道」。この5つは教会にとってどれも大切なものです。でも順番をつけるなら上記の 順番になります。礼拝・交わり・教育(訓練)は学びです。奉仕・伝道は実践です。私たちは礼拝を通して奉仕へと押し出されていくのです。聞くだけで終わら ない者になりましょう。必ずや「奉仕が喜びに」変わっていきます。