【主日礼拝メッセージ 】                                                            2016年5月1日 

  『“微笑み”は世の中を変える』
     

コリントの信徒への手紙二 6章11−13節

山岸 明牧師


  先日、本を読んでいたときに、次のような一文がありました「不機嫌は立派な環境破壊だ。」つまり、不機嫌は顔から、口から態度から、ダイオキシンを出して いる。反対に笑顔で生きることは立派な「エコ」だ。とてもユーモアのあるたとえで、私はこの言葉に感動し考えさせられました。私たちはクリスチャンとして 生活の中でキリストを証したいと願っています。それは何も言葉だけではなく笑顔も大切な福音の知らせだと改めて教えられたのです。

 主イエスの回りにはいつもたくさんの人々が集まっていました。いつも不機嫌な顔をしていたら人々は集まるどころか離れていったのではないでしょうか。マ ルコ10:16に「イエスに触れて頂くために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。 子供たちをわたしのところにこさせなさい。」そう言って「子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された」とあります。当然、“微笑”ながら子どもを抱き上げ たでしょう。徴税人ザアカイの家に泊まったときも、きっと笑いながら楽しく食事をしたでしょう。主イエスは出会いのたびに、人々に微笑みかけ、人々を喜び と信頼の雰囲気の中に引き入れていったのです。

 パウロは言った「子供たちに語るようにわたしは言いますが、あなたがたも同じように心を広くしてください」(13)。心広くして物事を考えてみましょ う。たかが笑いかも知れません。だが、私たちの小さな微笑みが相手の心に勇気と安心を与えるものになるのです。それは、他人への思いやりとしての笑顔なの です。しかし、私たちはいつも心が平穏であるとは限りません。私たち自身が傷ついたり、物事が思うようにいかずに心騒がせてしまうときがあります。体調の 悪い時などもそうです。笑顔で生きることを神様の望まれていると分かっていても、出来ない時があるのです。そんなとき考えるのです。私たちは「神と共に生 きている」から「神と共に生きていく」に変えるのです。生きていくと決断したときに、諦めよりも喜びを、悲しみよりも微笑みを人生の中で選び取ることがで きます。その決断の力は生きていくと決めたあなたに神様が与えてくださるのです。