「男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中にイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした」(18‐19)。
主イエスは彼らの大胆な信仰を見て中風の人に「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。信仰は時に大胆にならなければなりません。その大胆な信仰が世
の常識を打ち破り、信仰のマンネリ化を打開するのです。皆さんは毎週集う礼拝に喜びと命を感じていますか?今日の礼拝に期待を持って望んでおられますか。
それともただ、プログラムを消化するだけですか。自分に問いかけてみてください。
マルコ福音書では四人の男性が中風の人を運んできたと記さしています。しかし「群衆に阻まれて運び込む方法が見つからなかった」(19)。この四人は話
し会った。今日は諦めて帰ろうか、また出直そうか、それとも屋根をはがしてでも主イエスの前にこの人を降ろそうか。この四人は何としても主イエスの前に降
ろすことを決断したのです。一人でも反対したら、この救いのミッションは成功しなかったのです。このチームワークの決断に主の祝福が注がれた。
家 の中では礼拝が行われている最中でした。大切な礼拝が台無しになってしまった。だが主イエスの目はもっと大切なところに向けられていました。主イエス
は彼らの信仰を見て中風の人に「あなたの罪は赦された」と仰せられた。それを聞いた律法の教師たちは「神を冒涜するこの男は何者だ」と思った。「主イエス
は「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。そして
中風の人にわたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。彼はすぐさま皆の前で立ち上がり、神を賛美しながら帰っていった」。罪が赦され
た現実を見ながらも教師たちは主イエスを信じなかった。彼らは宗教には一生懸命だったが、主イエスを信じる信仰には乏しかった。私たちは神の前に信仰を
もって正しく生きるのです。