教会では「互いに愛し合いなさい」と、人間としてのあるべき姿が求められます。人間関係で教会と世の中の違うところは、教会で経験する人間関係は、私たち
の信仰の成長の場であり、人を愛する訓練の場であります。愛する事、赦す事の実践の場です。ですから「本音と建て前」でやり過ごしてはいけません。それは
一見表面的にはうまくいっているように見えても、内面的には葛藤が生じ、どうしても偽善的になってしまうのです。
初めにパウロは手紙の中で「愛に偽りがあってはならない」(9)と言いました。つまり、偽善的であってはならないという事です。そして「悪を憎み、善か
ら離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい」(10−11)と言われた。主にある兄弟姉妹はキリストの体に繋が
れた者として、互いに善の心で尊敬し合うように、そして互いに愛の関係を築くように促されています。
次に「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい」とあります。何に怠らず励むのか、それは兄弟姉妹を愛することにおいて励むのです。そして互いに愛し
合っていくのです。そして神と人に仕えることにおいて絶対に必要なことがあります。それは「霊に燃えて仕えること」。自分の思いに燃えて教会に仕えるので
はありません。自分の思いで仕えていくと、それは長続きしません。どこかで必ず不変不満が出て、途中で燃え尽きてしまいます。ですから、燃え尽きないよう
に主の霊に燃やされるのです。そこに信仰が働き、神の御業が現れ、それを体験するのです。
最後に「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」。この世の慌ただしさの中から神様の声を聞こうとするとき、それを遮るように、次から
次へと思い患いが出てきて、心が分散して定まらないことがあります。「あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋
ね求めるなら見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる」(エレミヤ29:12)。とあるように、祈りある人生
を送るためにも、私たちはたゆまず祈るのです。