【主日礼拝メッセージ 】                                                     2016年6月12日 

 岩の上に建てる     
マタイによる福音書16章13−20節

山岸 明牧師

   熊本地方を襲った地震で多くの家が倒壊しました。不思議なことに同じ場所、同じ年代、ともに耐震構造をしているのに建てた家、傾いた家、まったく無傷な家 に分かれました。専門家が言うには「基礎」の違いだと言うことです。基礎部分は目に見えないところだけに注意が怠ってしまうそうです。地震から教えられる ことは基礎がしっかりしていれば大丈夫だということ。しかし基礎がしっかりしていないと倒壊してしまうのです。そこで、私たちの人生の基礎も考えてみた い。私たちの人生、揺れないことを前提に人生を立ち上げていくなら、揺れが来たときにどうするのでしょうか。

 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うか。」シモン・ペトロが、あなたはメシア、いける神の子です。と答えた。すると、イエ スはお答えになった。「シモン・バルナバ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あ なたはペトロ。わたしはこの岩の上に私の教会を建てる」(15−18)。

 「あなたはわたしを何者だと言うか。」と、主イエスが私に問いかけておられます。この問いにあなたは何と答えますか。その答えが私の信仰の基礎、人生の 基礎になるのです。ですから、この基礎には絶対に手抜きがあってはなりません。もし、大切な基礎をいい加減にするなら、人生が揺らいだとき大変なことに なってしまいます。だが、私たちが心から主イエスは私の救い主「あなたは生ける神の子。」私を愛し、私を守り、私の人生を祝福し、すべてを導いてくださる お方と信じて告白するのなら、その信仰によって私は揺るぎない人生の基礎を築くことになるのです。

 私たちの人生には、様々な問題が起こってきます。ですから人生は揺れると言う前提のもとで基礎を据えていかなければなりません。でも、この信仰があるな らば、私たちは傾くことがあっても、ヒビが入ることがあっても、傷つくことがあっても、必ず、主イエスが癒し、立ち上がる力を、勇気を与えてくださいま す。私の信仰の基礎が主イエスにあるなら絶対に大丈夫です。