【主日礼拝メッセージ 】                                                    2016年8月28日 

『変われることを信じる』     
コリントの信徒への手紙二3章12−18節

山岸 明牧師

  神はパウロを通して言いました。「神は愛する者を、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました」(ローマ8:29)。とあります。耳を疑いたくなりますが、私たちを主イエスに似たものにしようと定めたというのです。

 初めに、どうすれば私たちは変えられるのか。
 「主の方向に向き直ること」。私たちの心は自動的に主イエスに向くわけではありません。何もしなければ主イエスからどんどん離れていきます。私たちは意 識して自分の心を主イエスに向けていくのです。パウロはコリント書の中で次のように告白している。あるとき「わたしは衰弱して、怖れに取りつかれ、ひどく 不安でした」。そのとき、パウロは「十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めた」(コリント一2:3)。パウロは生活の中で主イエスの恵 みの素晴らしさを体験し、主イエスの栄光を反映するものに変えられていくのです。

 次に、誰によって変えられるのか。
 聖書を読んで主イエスが行ったことを模範にしたら変われるのか。イイエ。主イエスの真似をしたら愛の人になれるか、イイエ。主イエスの真似をしたら、善 人のようになれるのか、イイエ。私たちは自分の力で主イエスに似た者になることはできないのです。「これは主の霊の働きによることです」(18)。聖霊が 私を主イエスの似姿に変えてくださるのです。聖霊の助けを排除して、自分だけで頑張ろうとするなら、それは律法的な生き方になってしまうのです。

 最後に、私たちが変わる目的は。
 いつも健康に恵まれ、快適に生活し、幸福感に満たされ、夢が実現し、祈りと信仰によって問題が即座に解決する事ではありません。私たちが変えられる目的 は主イエスに似た者になり、主の栄光をあらわす事です。「命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、 命である」(ヨハネ6:63)。いつも主イエスに心を向けて歩みましょう