【主日礼拝メッセージ 】                                                    2016年10月2日 

  『豊かに成長する     
エフェソの信徒への手紙4章7-16節

山岸 明牧師

 私たちの願いとして、神から与えられた信仰が生活の中で生かされ、信仰が豊かに実を結ぶほどに成長し、聖書に記されているような、あの活き活きとした弟子たちのように成長したい。信仰の喜びが私の内側から湧き出るほどに成長することを心から願う者です。

 パウロはそのためにこう言っています。『キリストの愛にとどまりなさい。』神があなたを成長させてくださるから「わたしは植え、アポロは水を注いだ。し かし、成長させてくださったのは神です」(コリント一3:6)。私たちの信仰は今、成長の途上にあるのです。途上ですから、不具合があったり、足りないと ころがあったり、時には周りに迷惑をかけてしまう事もあります。しかし、そのようなクリスチャンを見たとき、私たちは失望するのではなく、裁くのではな く、神にあって成長の途上にあるのだと希望を持つことです。

 次に教会の成長を考えてみましょう。教会はイエス・キリストを頭とする体であると言われています。今、この仙川教会に集められた一人一人はキリストの体 の一部として必要とされ招かれたのです。それぞれが体の一部として、その働きに関与していくのです。ある人は目の働きをし、ある人は耳の働きをする。ある 人は口、ある人は腕、ある人は足、ある人は心臓、ある人は脳、それぞれの働きは違いますが、体を見たとき、必要のないものなど何一つありません。無駄なも のも一つもありません。教会もそうです。だれ一人として必要のない人などいません。神によって招かれ、集められた私たち一人一人が成長し、キリストの体を 立ち上げていくのです。

 私たちが、どんなにはつまらない人間であっても、また罪人であっても神は、そんな私を愛し信頼し、期待して、ここに集められたのです。私たちは弱いもの であることを認め、足りないところもいっぱいある事を認め、そして罪赦された罪人である事を認め、その中で互いに愛し合うこと、互いに赦し合うこと、互い にいたわり合う事を、この教会の中で実践していくのです。そして与えられた賜物を用いて、主イエスの望まれる教会として成長していくのです。