「天使はマリアのところに来て言った。おめでとう、恵まれた方。主はあなたと共におられる」(28)。マリアはこの言葉を聞いて戸惑い、怖れと不安を覚え
た。天使は続けて言った。「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」(31)。これは「受胎告知」と言われ、マリアを通して救
い主が生まれるという知らせだった。
だが、この知らせはマリアにとって“おめでとう”ではなく、最悪の知らせだった。「マリアは天使に、どうしてそんなことがありえましょうか。わたしは男
の人を知りませんのに」(34)と言った。マリアにはまったく身に覚えがないので、絶対にありえないと確信した。すると天使は言った「聖霊があなたに降
り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれてくる子は聖なる者、神の事呼ばれる」(35)。マリアよ、信じられないだろうが、あなたのお腹の子は
聖霊によって宿ったのだ。
この出来事はマリアの人生に神様が一方的に介入され起こったことです。神はただの置物でも、お飾りでもありません。神様は生きて働かれておられる方、そ
して、私たちの人生にも介入されるのです。そのとき、私たちもマリアと同じように混乱し不安を覚えます。この一方的な告知で混乱するマリアに天使は言っ
た。「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。」(36)。
この知らせは、混乱するマリアが天使の告げた事を信じ受け入れるために、目に見える証拠を身近に用意してくださったものです。私たちが神様を信じるに
至った中で、信仰の友や、信じるに至る布石が置かれていた事に気づきます。天使はマリアに言った。「神に出来ないことは何一つない」(37)。マリアは
「わたしは主のはしためです。お言葉とりこの身になりますように」と答えた。これは主のためにどうぞ私を用いてくださいという信仰告白である。
私の考え、私の経験の中に偉大なる神様を閉じ込めないでください。人間には不可能な事でも、神様には「不可能は何一つない」。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(45).。主はわたしと共にいてくださることを信じて歩みましょう。