【主日礼拝メッセージ 】                                                                       2017年2月5日 

 『現実から目をそらさない』   
使徒言行録5章17−42節

山岸 明牧師

   聖霊を受けた弟子たちは大胆に福音を伝えた。救われる人々も日々増え、また病の癒しもたくさん行われた。弟子たちはいったい何をしたのでしょうか。特別 なイベント?人を引き付ける素晴らしいプログラム?有能な人材を集めた?そういうものは何もありませんでした。そこにあったのは弟子たちにとって「危機的 な状況」だけでした。その中で弟子たちに出来ることは祈る事だけでした。

 しかし、不思議なことに弟子たちは危機的状況の中で神様のダイナミックな恵みを体験していたのです。私たちはどうでしょうか。日々の生活の中で神様のダ イナミックな恵みを体験しているでしょうか。弟子たちが信じた神様と、私たちが信じている神様は同じです。考えさせられます。

 弟子たちの言動を見て「大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は皆立ち上がり、ねたみに燃えて、使徒たちを捕えて公の牢に入れた」(17)とあります。大 祭司とその仲間とは、神に仕え従っている人たちです。弟子たちと同じ神様を信じている人たちです。弟子たちは神様の豊かな恵みを体験しているのに、大祭司 たちは何と嫉妬に燃えていたのです。

 この分かれ道は何でしょう。危機的状況の中にあって弟子たちの心は常に神様に向けられていきます。一方、大祭司たちの心は神様ではなく人に向けられてい きました。天使によって牢から救い出されたペトロたちは、大祭司の前に進み出て言いました。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(29)。

 私たちの生活においても危機的状況があります。いろいろな問題にぶつかり、悩み、苦しみます。その時に私たちはどこに向かっていくのかが問われていま す。神様に向かってダイナミックな恵みを体験するか、それとも人に心を向け、嫉妬して自分の人生を呪うか、大きな分かれ道です。私たちは大祭司のようでは いけません。今こそ現実から目をそらさないで人生を真剣に考えよう。