パウロは人生に起こる善い事も悪い事も、物事の移ろいには大きな意志が働いていると言いました。また、その物事の移ろいを動かしているのは神であり、その
神の意思は私たちを決して滅びへと押しやるのではなく、物事の移り変わりがどのようであれ、その結果は必ず益となると言った。しかし、パウロにとって益と
は、自分に都合よく物事が動く事でも、自分の願い通りになる事でもなく、神から与えられた結果は何であれ益となる、その約束を信じる事であった。
一つの詩を紹介します。
「いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかった。
いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった。」
著:星野富弘。
この詩は星野さんが自らの体験を通して語られた喜びの歌です。星野さんは事故で脊髄を損傷し首から下が全く動かなくなりました。毎日、病院のベットの上
から人生を呪って生きていました。事故から数年後、星野さんは主イエスと出会った。そして「いのち」より大切なものを知ったと言います。すると生きていく
力・喜びが湧いてきた。命が息を吹き返した。命が躍動し始めた。マイナスがプラスへ、最悪が最善になった。星野さんの新しい人生の出発となった。その喜び
を詩に表したのです。
ここで大事なのは、神と私たちの関係です。パウロは、ただ「万事が益となる」と言っているのではありません。最初に「神を愛する者たち」とあるように、
神と出会い、神を知り、神を信じるとき、私の人生における物事の移ろいを動かしているのは神であることが分かります。そして、人生マイナスと思えるような
ことも、すべてが益となることを知るのです。そこから生きていく力が湧き出て、命が動くのです。しかし、神と無関係であるならば「万事が益となる」という
根拠はどこに見つけることはできないのです。ご一緒に神を求めましょう。