「そして、彼らに言われた。収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」主イエスは「収
穫は多い」と仰せられた。それは主イエスが町や村を残らず回ったとき、たくさんの光景が目に入った。病で苦しんでいる人々、悩んでいる人々、疲れた人々、
失望している人々、泣いている人々、生きる希望を失っている人々、人生に迷える人々、主イエスはその有様を見て救われなければならない魂が何と多い事かと
嘆いた。主イエスの目から見たら、私たちの住むこの地域も同じように救いを求める魂が多くいる。主イエスの仰せの通り「収穫は多い」。私たちはその事を
しっかりと自覚と意識をもって行動しなればいけません。
そのためにクリスチャンが遣わされます。それは収穫のために種を蒔くこと。それは決して楽しい事ばかりではありません。蒔いても、蒔いても答えられな
い、受け入れられない。時には誤解され、非難され、涙を流す時もある。パウロはコリントの町において、伝道の困難さに苦しめられた。福音を語ると彼らは反
抗し、非難し、口ぎたなくののしった。パウロは「恐れに取りつかれ、不安であった」(1コリント2:3)と告白している。そんなパウロに主イエスは仰せら
れた「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いる
からだ」(使徒18:9−10)。
多くの収穫をするには働き手が必要になります。そのために一番必要なことは祈ること、それも具体的に「収穫のために働き人を送ってください」と。主イエ
スはどのような方法で、どんな形で働き人を与えてくれるかは分かりません。でも与えられることを信じて祈るのです。イザヤが召命を受けた時のことを記して
います。「そのとき、わたしは主の御声を聞いた。誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。わたしは言った。わたしがここにおります。わたしを
遣わしてください。」(イザヤ6:8)。
私たちも「わたしをお遣わしください」と祈りたいものです。