【主日礼拝メッセージ 】                                                                                                      2017年07月09日 

『変えられた人生 ヨハネ』

マタイによる福音書4章18-22節
山岸 明牧師


  使徒ヨハネは愛されることも、愛することも出来ない人でした。そんなヨハネが主イエスと出会って愛の人に変えられた。そのヨハネが「わたしたちが聞いたも の、目でみたもの、よく見て、手で触れたものを伝えます」(ヨハネの手紙一1:4)と書き記した。ヨハネだけが聞いて、見て、触れたものとは何か?それは 十字架の下で起こった出来事です。弟子たちが皆、逃げた中でヨハネだけが十字架のもとにいたのです。

ヨハネが十字架のもとで聞いたこと。主イエスはヨハネにマリアの事を「見なさい。あなたの母です」と言った。その時から、ヨハネはイエスの母を自分の家に 引き取った。」十字架のもとで新しい家族が誕生した。嬉しい事だが問題もあったと思う。ヨハネが繰り返し「互いに愛し合おう」「交わりを持とう」と言った のは、人間関係で大きな戦いがあったからでしょう。そんな時、ヨハネはいつも十字架のもとに立ち返り、御言葉を聴き問題を乗り越えていった。

ヨハネが十字架のもとで見たもの。それは旧約聖書で記されている救い主の成就。当時、十字架から降ろすときととめをさす意味で足を折った。しかし「イエス のところに見てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった」(ヨハネ19:33)。これは「いけにえの骨を折ってはならない」(民数記9: 12)。それは、過越しの生け贄、捧げものは完璧なものでなければならなかった。また兵士が槍でわき腹を刺したのも「彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であ るわたしを見つめる」(ゼカリヤ12:10)。という預言の成就を見たのです。
 
ヨハネが十字架のもとで触れたもの。主イエスを十字架から降ろすとき、ヨハネは主イエスを抱きかかえて降ろした。そのとき主イエスのぬくもりが残る中、そ の流された血に、傷に触れたでしょう。そのとき、この傷が、この血が私の救いのためであったと気づいたでしょう。私たちも主イエスの声が聞こえるほどに、 見えるほどに、触れるほどに十字架のもとに近づいていきたい。そこで、私が何を聞いて、何を見て、何を触れるのか、それが私たちの信仰です。


 
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