【主日礼拝メッセージ 】           平和を覚える礼拝                                                              2017年08月13日 

                          平和を生きる

                         マタイによる福音書5章1-11節
                              山岸 明牧師

「平和」と聞いて何を考え ますか?多くの人が戦争や紛争のない世界だと思う。そこで考えたいのは戦争や紛争がなくなれば、私たちは本当に平和を生きる事が出来るでしょうか?預言者 エレミヤは言った。この民は「平和がないのに『平和、平和』という」(エレミヤ8:11)もしかしたら、私たちも戦争がないから平和だと思い「平和・平 和」と言っているだけかも知れません。では主イエスが語られた「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」とはどういうことか。

1、    聖書が語る平和は「シャローム」という言葉です。それは「神の平和があるように」また「神の救いが、赦しが、勝利が、今日もあなたと共にあるように」。聖書の語る「シャローム・平和」は神との関係が大前提となっています。

2、    主イエスは罪人である私たちが神のもとに立ち帰ることができるように十字架にかかり、自らの命と引き換えに神との和解を完成させてくださった。パウロは 言った。「わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ている」(ローマ5:1)。パウロは主イエスの十字架の救いの恵みによって神と和解 することができ、本当の平和を手に入れたと告白した。

3、    平和を考える事も大切、議論する事も必要です。しかし、主イエスが私たちに求められたのは平和をつくりだし、平和を実現することです。では何をもって平和 を実現するのか、主イエスは仰せられた「神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:37)。それは神との関係を回復してくださった主イエス の愛を信じ、十字架の愛をもって家庭に、職場に、友人との間に、教会の人々との交わりの中において平和を実現していくこと。

4、    マザーテレサがこのような事を言われた。『平和も戦争も家庭から始まります。もし本当に世界平和を願っているなら、まず自分の家族が互いに愛し合うことか ら始めてゆきましょう。もし喜びを広げてゆきたいなら、まず、一つの家族が喜びをもって生活することが必要だ。』平和も戦争も小さな家庭から始まるといっ たのです。アーメン。然り。身近なところから平和をつくろう。


 
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