【主日礼拝メッセージ 】                                                                          2017年08月27日 

                         
                『救いの計画』

                         使徒言行録9章1−19節
                              山岸 明牧師
 サウロさんの人生に神が突然介入し、サウロの人生が大きく変わった。サウロは突然の出来事に「目からうろこのようなものが落ちた」と言った。その意味はある事をきっかけに迷いからさめ、物事の真相や本質が分かるである。

 サウロは神を尊敬し、律法を守り、そこに命をかけていた。彼の信じる神は命令を聞く者には優しい神であるが、従わない者には「裁く神」「ねたむ神」で あった。(申命記)。サウロの怒りの背景には怒りの神がいつもいた。故に律法に従わない者、否定する者を許容する事ができず、特にイエスを神として礼拝す るような者は裁きの対象であった。ウロコが落ちる前のサウロの姿です。

 私たちも神を信じているという、それは素晴らしい事です。でも、自分のイメージがあるのです。神はきっとこうだろう?私たちの目にもうろこがついている のです。サウロは自分がイメージする神を信じるが故にイエスを信じる人たちを徹底的に弾圧した。私たちも神のためと思って熱心になるとき危険な面が伴う。 それは自己正当化のために神を手段化すること。それはサウロと同じ。

 サウロがクリスチャンたちを追い「ダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼らの周りを照らした。サウロは地に倒れ、サウル、サウル、なぜ、わたし を迫害するのか」と言う声を聞いた。あなたはどなたですかと言うと、わたしはあなたが迫害しているイエスである」(4)。このときサウロは初めて神に出 会った。律法では神との出会いが出来なかったが、今、主イエスを通して真実なる神に出会った。サウロの目からうろこが落ちた。この後、サウロは新しい人生 をパウロと名を変えて生きた。その名の意味は「小さき者」である。

 一人の人が新しく生まれてくるのには、このような神の「突然」の出来事が人生に起こる。神の「突然」は偶然でも、たまたまでもない。神の計画であり、神 の必然である。サウロがパウロになるには神の「突然」と、先に召されたクリスチャンの祈りと働きがあった。私たちが先にクリスチャンに召された意味がここ にある。「神の救いの計画」を共に行うのです。

 
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