【主日礼拝メッセージ
】
2017年10月01日
中川 幹執事
高齢者福祉の現場は、残酷で悲しい現実が紙一重で待っている世界でした。前日に、笑顔で話されていた方が翌週病院に運ばれ、3日後には天に召されてしまう
ということ。また認知症等を患われてしまったご主人を必死で懸命に介護されていた奥様が介護疲れから倒れてしまい、ご夫婦ともに離れ離れになり自宅から出
て行かざるを得なくなってしまうことは珍しくありません。わたしたちの生きる世とは、悲しくも辛い、そういう世界でもあります。
ヨハネによる福音書11章5節は聖書の中で一番短い節とされています。
そこにはこう書かれています。「イエスは涙を流された」。イエス様が愛されたラザロは亡くなっており、姉であるマリアが悲しみにくれ涙を流し続けている
ところに来られたイエス様は、その事実に憤り、興奮し、そしてラザロと悲しみにある姉妹のためにともに涙を流されました。私たちを十字架の愛で救われたイ
エス様は私たちとともに涙を流し、ともに歩み続けられる方なのです。
その後、そのことからたくさんの方がイエスを信じ、仕え従うようになっていきます。そしてエルサレムに入城し、この地での最後の時が近づく中、イエス様は
ヨハネによる福音書12章35節にあるように、こう語られました。「光は、いましばらく、あなた方の間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうち
に歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるためには、光のあるうちに光を信じなさい」。
時間とは永遠ではありません。その中でも私たちは悲しみ、迷い、暗闇の中で息が絶える思いにかられます。しかし、私たちには、そばにいて、ともに悲し
み、私のために涙を流し、希望でその先の道を照らし、ともに歩んでくださるイエス様がおられるのです。感謝し、喜び、ともに祈りましょう。