【主日礼拝メッセージ 】                                                                          2017年10月15日 

                         
             『ねたみから逃れる』

                      ヤコブの手紙3章13−18節
                              山岸 明牧師

  ヤコブは「しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。そのような知恵は、上か ら出た者ではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔からでたものです。」(14‐15)と言う。聖書は「ねたみ」を大きな問題としている。

 聖書に出て来る一番最初の殺人は兄弟の間で起こった。兄カインが弟アベルを殺した。原因は“ねたみ”です。ヨセフは兄たちによってエジプトに売られてし まった。その原因も“ねたみ”です。サウル王がダビデを殺そうとした原因も“ねたみ”でした。ねたみは憎しみとなって私たちに罪を犯させ、人間関係が乱 す。「ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるのです。」(16)。この“ねたみ”を断ち切り、ねたみから解放されるには選択と大 きな決意が必要です。
第一に人と比べる事をやめる。聖書は人と比べても意味がない事を教えている。比較から生まれるのは高ぶりと“ねたみ”です。自分より劣っている人を見ると 高ぶり、自分より優れている人を見ると、ねたましく思い、落ち込みます。他人と比べたくなったら考えを切り替え、比べるのをやめる。

 第二にうらやむのではなく「共に喜ぶ」。聖書に「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12:15)とある。相手の成功をねたむか喜ぶのか。選択と決意です。「喜ぶ人と共に喜ぶ」この選択と決意が出来れば、喜びの種は絶えることはない。

 第三に与えられているものに感謝する。人をねたんでいる自分に気づいたなら相手をうらやむのではなく、自分に与えられているものに目を向けること。持て ば持つほど幸せになる、それは思い込みです。今、持っているもので幸せになれない人は、どれだけ多く持つようになっても幸せにはなれない。

 最後にどうしても人生が不公平にしか思えない時。神の愛を見失っているとき、どうしても人との比較に目が行き、人をねたみ、嫉妬する世界に落ち込みま す。今日の選択と決意は、私の心を神に向ける事により“ねたみ”から解放されることを教え、もっと豊かな生き方へと私たちを招くのです。


 
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