【主 日礼拝メッセージ 】                                                                                     2017年10月22日 

                         
感謝の心で

ルカによる福音書11章33−36節
山岸 明牧師

   日々の生活が慌ただしくなると、私たちの心は穏やかでなくなります。喜びや感謝の心を曇らせ、私たちの持つ欲求が知らず知らずのうちに感謝の心と置き換わり権利を主張しはじめ、私たちの心を支配していくのです。私たちはどうしたら感謝の心を持ち続けることができるのか。

 聖書の「感謝」を見てみますと不思議な事に気がつきます。それは、とても感謝できない困難な状態の中にありながら感謝をしているのです。パウロはコロサ イの信徒への手紙の中で「いつも感謝していなさい」(3:15)。と書き記しました。それは状況や結果に振り回されずに、感謝できる心を持ちなさいと言う 事です。ここで注目したいのは、パウロがこの手紙を獄中で書き記したということです。

 ダビデもサウル王から命を狙われて逃亡生活していました。サウル王に尽くしてきたダビデがサウル王の嫉妬から不条理にも命を狙われるのです。ダビデは飢 えに苦しみ、涙を流しながら洞窟を転々とし生き延びていた。そのダビデが困難の中にありながらも「感謝」の言葉を何度も言っています。

 本来なら感謝などできない状況の中でなぜ、感謝の心を持つことが出来たのか。この感謝の心に関してパウロとダビデに共通しているところがあります。それは彼らの心の視点がいつも神に向けられていたことです。

 「あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。だから、あなたの中にある光が消えていないか 調べなさい。」(11:34‐35)主イエスが仰せられたのは、人生に対する心の視点です。神に向けられた確かな視点が、パウロやダビデの態度や行動を決 定づけたのです。

 私たちが、感謝を忘れるとき、それは恵を忘れるときです。恵を忘れるという事は、神を忘れているときです。神を忘れ、恵を忘れている時は、自分の力だけでやっていけると思い込んでいる時です。それは人間にとって一番“危険”な時であることを覚えておきましょう。


 
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