【主 日礼拝メッセージ 】(召天者記念)                                                                                     2017年11月12日 

                         

  『死は終わりではない』


ヨハネ福音書11章25−27節
山岸 明牧師             

 命を考えていくうえで切り離せない大切な事があります。それは「死」という問題。人間はいつか死ぬという事は誰でも知っています。健康であろうと、豊か であろうと、すべての人に公平に訪れ、この死から誰ひとり逃れられない。やがて死が訪れる事を知っていても、どうする事も出来ない。私たちに出来る事は死 を考えないようにすること。それほど「死」は人間を恐怖と悲しみに落としいれるのです。たとえ、この世のすべてを手に入れたとしても最後には死が勝利する のです。

 しかし、パウロはその「死」に対して「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」(コリント (一)15:55)と死に対しての勝利宣言をした。パウロはどうして、人間では絶対に打ち勝つことの出来ない「死」に対して「お前の勝利はどこにあるの か」と言えたのでしょうか?それは、イエス・キリストが死からよみがえったとの信仰に立ったからです。「イエスは言われた。わたしは復活であり、命であ る。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない」(ヨハネ11:25−26)。パウロはキリスト の復活を信じることによって、死のかなたにもう一つの永遠の世界を見たのです。

 そして、この世で答えを得なくても、死を超えた向こうで、すべてを引き受けてくださるお方がおいでになります。この肉体は朽ちても、私の魂をしっかりと 受け止めてくださる方がおられるのです。「イエスは言われた。わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くこと ができない」(ヨハネ4:16)。死は終わりではなく、復活の主イエスと生きる時に永遠の人生が始まるのです。神様の願いは、今、生きているときに、私の ために十字架について、そして復活してくださったイエス・キリストを信じること、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨ ハネ3:16)と仰せられるように「永遠の命」を受け取る事が神の御心なのです。永遠の命を受け取ろう。

 
 戻る