アドベント第1週 【主
日礼拝メッセージ
】
2017年12月03日
主
イエスは洗礼者ヨハネについて「言っておくが、およそ女から生れた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない」(28)と仰せられた。また、ヨハネの偉大さ
は、人々からあなたこそメシアではないのかと言われるほどであった。その事についてヨハネははっきりと「わたしはメシアではない」と言った。ではあなたは
誰かと聞かれると「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」と答えた。
「翌日、ヨハネは、自分の方へ主イエスが来られるのを見ていった。見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」(ヨハネ1;29)。この方こそメシアである。「わ
たしはその履物のひもを解く資格もない」(ヨハネ1:27)。主イエスへの絶対的な確信と信頼、これがヨハネの信仰です。
ある日、彼は領主ヘロデを非難した事で捕らえられ牢に入れられた。まったく先が見えない状況の中、弟子を主イエスのもとに送って尋ねた。「来るべき方は、
あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(20)。今、ヨハネの信仰が揺らいでいる。この方は本当に救い主か?ヨハネが待ち望
み、期待していたメシアは、当時ユダヤを支配していた憎き敵である、ローマ帝国を打ち滅ぼして、ユダヤを開放してくれるメシアであった。
しかし、主イエスのなされている事は、病人を癒し、悪霊を追い出し、罪人と食事をしたり、それが本当のメシアなのか疑問であった。来るべき方はあなたです
か?の問いに「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳
の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」(4−5)。そして「わたしにつまずかない人は幸いだ」(6)と仰せられ
た。
私たちも自分勝手に神様を創造し都合の良い信仰を抱いてしまう者です。その結果、主イエスを信じても、教会に行っても無意味がないと言って、主イエスにつ
まずくのです。私たちは弱い人間であることを自覚し、メシアのお姿である十字架の愛と復活の希望をしっかり見つめ信頼して歩みましょう。