主日礼拝メッセージ                                                                                   2018年01月28日 

                         
御言葉を行う人になろう
ルカによる福音書6章46−49節(p.114) 

                             
  二人の人が家を建てました。そこに洪水がやって来てその家を襲いました。Aさんが建てた家は倒れずに無事でしたが、Bさんが建てた家はたち まち倒れ、それも壊れ方がひどかった。何が違っていたのか。それは建てた家の土台が違っていた。建物を建てるときに重要なのは「土台」です。土台は建物の 命そのものです。どんなに大きく美しい建物でも土台に問題があれば、やがて建物全体が傾いて倒れてしまうのです。

 主イエスはこのたとえから私たちの人生を表しました。私たちの人生には必ず嵐がやってきます。思いがけない苦難に襲われるときがあります。そういう人生 の中にあって、私たちがしっかり立つことができるか、それとも倒れてしまうのか、私たちの人生の土台(主イエスへの信仰)が大きく関係している。

 私たちは礼拝を通して御言葉を聴いて、日々の生活の中でも聖書から御言葉を聞いています。聖書を学び真理を知ることはとても大切な事です。ではそれを 知ったことで、またそれを聞いた事で、私は変わるでしょうか?私たちの問題課題は解決されるでしょうか?残念ながら知っただけでは何も変わりません。

 主イエスは「わたしを主よ、主よと呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか」(ルカ6:46)と仰せられた。これは聖書の教えを実際に行う必要 があると仰せられているのです。聖書の学びは私たちが何をすべきか教えてくれています。それらを実際に行って初めて、聖書が何を語っているのかが分かるの です。聖書を知っているだけでは何も変わりません。聖書が語る事を行って初めて変わるのです。

 今、多くのクリスチャンが主イエスを聖書の活字だけの中に求めています。御言葉の行いこそが命を生み出し、信仰を築き上げ、変化をもたらし、奇跡を起こ し、傷を癒し、人格を建て上げ、喜びをもたらし、逆行を乗り越えさせ、誘惑に打ち勝たせ、希望を与え、無から有を造り出し、私たちの将来を永遠に保証する ものです。この御言葉の行いが生かされるなら、家庭も職場も人間関係も御言葉によって祝福されます。


               



 
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