主日礼拝メッセージ                                                                                   2018年03月18日 

                         
『十字架の勝利』

マタイによる福音書26章69-75節 
 山岸 明牧師

             
 主イエスが捕らえられたとき、ペトロは剣を持って相手に打ちかかった。ペトロは命がけで主イエスを守ろうとした。そして主イエスが捕えられ祭司長たちの もとに連れて行かれたとき、ペトロは後ろから従って行った。自らも捕えられてしまう危険を冒しても主イエスのことが心配だった。ペトロは一緒に死んでも良 いと思うほど主イエスを愛していた。しかし土壇場で主イエスを知らないと言ってしまった。ペトロの失敗です。この後、三回も主イエスとの関係を否定した。 「そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、そんな人は知らないと誓い始めた」(26:74)。ペトロは主イエスを愛することをやめた。ペトロの敗 北です。

 サタンは主イエスをも敗北させようと誘惑していたと思う。『イエスよ、あなたを捨てたペトロのために、あなたを裏切ったユダのために、あなたに背を向け ている者たちのために命を捨てるのか、十字架につくのか、やめておけ。』きっとそんな戦いがあったと思う。もし、私たちが一番苦しくて辛いとき、信頼して いた身近な人に裏切られたらどう感じるだろう。一生、赦せないと思うだろう。ペトロはそれを行った。主イエスはそれを受けた。

 主イエスが十字架にかけられているときもサタンは誘惑の手をゆるめず、人を通してこう言わせました。「イエスよ、十字架から降りてみろ。お前が救い主な ら、選ばれた者なら、自分を救ってみろ、十字架から降りて来い。」(ルカ23:35)。これがサタンの最後の誘惑でした。それでも主イエスは十字架から降 りませんでした。

 主イエスを愛する事をやめたペトロに対し、主イエスは最後まで愛する事をやめませんでした。主イエスが愛する事をやめて十字架につく事をやめたら、それ は主イエスの敗北です。十字架の勝利は裏切られても、捨てられても、それでもなお、ペトロの為に、弟子の為に、私の為に十字架についてくださった。主イエ スは裏切る者を愛し、敵対する者を愛し、罪ある者を愛し抜かれた。これが十字架の勝利です。主イエスは愛する事に置いて十字架で勝利したのです。私たちも 愛する事において勝利したい。


               



 
 戻る