山岸 明牧師
主イエスは金曜日に十字架につけられ殺され墓に葬られました。この死によってすべてが終ったと誰もが思った。ところが日曜日の朝、女性たちが墓に行って
みると、天使があらわれ「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」と告げた。そして「急いで行って弟子たちに伝えなさい」と言われた。(28:
6−7)女性たちは恐れながらも大いに喜び、この出来事を弟子たちに伝えた。
聖書はこの『復活』を、私たちに、理解させようとか、納得させるようとか、その部分だけを特別に多く取り上げている訳でもなく、当たり前のように主イエ
スが復活した事を書き記しています。これが聖書の偉大さ「神にできない事は何ひとつない」(ルカ1:37)仰せられているように、逆に『復活』を聞いて、
あなたがたは何を驚いているのか、あなたの”ものさし”でわたしをはかるな、その小さな脳で、あなたの数十年の人生経験で、そんな事があるはずが無いと
言って、神を侮ってはならないと仰せられる。
しかし、この復活がどんなに素晴らしい出来事であっても、自分と関係のないものにするならば、私たちには何の力にもならず、喜びにもなりません。だが、
主イエスの復活を信じるならば新しい自分となって生まれ変わる事ができる。なぜならば「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、死んで
も生きる」(25)と主イエスは仰せられた。
人生『私は誰なのか』『なぜ生きているのか』方向も目的も知らずに走り続けることほど不安な事はありません。私たちの『命』について、聖書はその答えを
持っています。復活の主イエスと共に歩む者は、人生で色々な問題が起きても、死を打ち破った主イエスが必ず解決の道を、忍耐する力を、それを乗り切る力を
与えてくれます。世に勝利された主イエスの愛を、復活の命を生きてみたい。