主日礼拝メッセージ                                                                                   2018年04月22日 

                         
教会の使命  そのA 奉仕

マルコによる福音書10章45節  
                                                                                                   山岸 明牧師

 教会に仕え支える人たちのことを奉仕者と言います。奉仕とは神の業に協力し喜ん で積極的に自由意志を持って教会に仕え支えることです。主イエスは「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を 献げるために来たのである」(マルコ10:45)と仰せられた。

 仕える者は僕の心を持たなければなりません。
私たちはどんな心で奉仕をして、教会に仕えているでしょうか?奉仕は、神様に受け入れられ、愛され、赦されている喜びから溢れ出る感謝の行為です。「イエ スは、わたしたちのために命を捨ててくださいました。そのことによってわたしたちは愛を知りました」(ヨハネ(一)3:16)。私たちの奉仕はこの十字架 の愛に対する感謝の表れなのです。ですから義務や強制されて行うものではないのです。また、神様の前につまらない奉仕など何ひとつありません。小さな働き でも価値のあるものにするのもしないのも、私たちの心次第です。私たちの奉仕の原動力は常にイエス様との関係の中で築かれていかなければなりません。

 何を持って仕えて(奉仕)していくのか、
私たちは与えられた賜物を持って仕えていきます。神はなぜバプテスマを受け、永遠の命を約束された時点で天国に連れていってくださらないのか。救われた私 たちをなおも、この世に置かれているのはどうしてでしょうか。神は教会の使命の為に私たちの賜物を必要とされているのです。

 僕(しもべ)は、いつでも仕える用意ができている
自分の都合の良い時だけ仕えるのではなく、たとえ不都合な時であっても仕えるのが僕です。皆さんは、いつでも神に従う準備ができていますか?私たちは自分 の計画に固執してしまうあまり、神の御心を見失うことがあります。計画も大切ですが、神の導きに合わせて柔軟に自分の日程を調整していく方が賢明です。僕 (しもべ)は、急な用事が割り込んできても、それを奉仕の機会として喜んで受け止めるのです。
               

 
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