主日礼拝メッセージ                                                                                   2018年06月24日 

                         
人生の目的

ルカによる福音書19章28-35
                                                                                                   山岸 明牧師      
       
 あなたは自分の存在理由について考えた事はありますか?自分が生まれて来た目的や意味。私は何度も自分の存在理由について考えた事がありましたが、人生 の意味を見いだす事はできませんでした。神を知らない偶然の世に生きていた私には当然、人生の意味など解るはずはありませんでした。しかし、神と出会い、 神を知り、自分の存在には意味がある事を知って救われました。

 イスラエルの三代目の王ソロモンも人生の目的・意味を見いだそうとして苦しみ悩んだ事がコヘレトの書に記されている。彼はこの世がすべてであり、人間に とって幸福なのは喜び楽しんで一生を送る事だと考えた。現代人の人生の目的もここにあるのではないか。彼は人生の目的をそこに定め、知恵と権力を使い、あ らゆる物を手に入れ人生の目的を達成した。しかし、彼の口から発せられたのは「なんという空しさ、すべては空しい」であった。人生の目的、生きる意味はそ こに見出す事はできなかった。人生の目的・意味は私を中心にしていては見つける事はできません。人生の意味は神と共に歩むときに示されてくるのです。

 主イエスがエルサレムに入られるとき、二人の弟子を使いに出し「向こうの村へ行きなさい。そこに入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつない であるのが見つかる。それをほどいて、引いてきなさい。もし、だれかが『なぜ、ほどくのか』と尋ねられたら『主がお入用なのです』と言いなさい。(ルカ 19:30−31)。主イエスがエルサレムに入られる時にロバを必要とされた。ろばに乗って入城されるなら大きくて強そうな、今まで人を載せた事のある 「ろば」を選ぶのが当然であるが、しかし、主イエスは何と弱々しい、あまり役に立ちそうにもない、小さな「子ろば」を必要とされた。

 神が私たちを用いる時に何かが出来るとか出来ないとかは問題にしない。神はあなたの存在自体を喜ばれるお方。ここに既に人生の意味が示されている。神の 目には「あなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している。」すべてが尊い存在。私たちは神に愛され、価値ある存在として認められ、必要があって今日も生 かされている、その事を信じよう。私が弱い者だろうが、小さい者だろうが、泥だらけで傷ついていようが、神は仰せになる。わたしはあなたを必要としている

               

 
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