「義のために迫害される人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。」今、主イエスのもとに集まっている人々にとって天国は完全に閉ざされた世
界である。しかし、主イエスは天の国はあなたのものであると仰せられた。これを聞いて群衆は何を思ったのだろうか、うれしくて涙した人もいたでしょう。大
喜びをした人もいたでしょう。疑う人もいたでしょう。そこから立ち去った人もいたでしょう。
義とは何でしょう。私たち人間の正しさや社会的な正義ではありません。それらを超えるもの。「義のために迫害される人々は幸いである」と仰せられた主イ
エスは「義のために」を「わたしのために」と置き換えられた。義とは主イエスご自身のことである。また聖書は主イエスに従う者を正しい者と言われる。
主イエスの御心に従って生きようとすることは正しいことであるが、そこには必ず迫害があると仰せられた。今の日本では主イエスのために生きて命を失う事
はありませんが、主イエスの御心に生きようとするときいろいろな迫害が起こる事も事実です。「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、
迫害を受けます」(テモテ二3:12)とあるように。
あなたは主イエスを信じて何か不利益をこうむったことはありますか?主イエスの御心に生きようとして迫害されたことがありますか?私たちは考えさせられ
ます。私たちは本当に主イエスのために生きているのか?私たちは自分のためにも、私の大切な人のためにも生きています。でも改めて考えた時にどうか?主イ
エスのために生きているでしょうか?
主イエスの御心に従い生きるとき不利益を被ったり、迫害を受けたりすることが起きるかも知れません。それでも、あなたのために命を捨てるほどに愛してくだ
さった。その愛の中に主イエスを信じて従って行きたいと願います。主イエスのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられ
るとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。このことを私たちは地上で経験していきたい。