聖書が伝える神は置物ではない。生きて働かれ、言葉をもって語り、私たちの人生に介入し“こと”を起こされる。それは主イエスの救いを受け入れ、従って生きるように、それも強制や義務ではなく、自ら喜んで決断する事を迫る。
初めに、聖書は主イエスを信じる決断を求めます。ペトロは主イエスの救いに与るより、魚一匹獲るほうが大事な人生だった。皆が主イエスに従った時も、彼
は背を向けていた。それがペトロの選択と決断でした。ある日、ペトロは夜通し漁をしたが魚一匹も捕れなかった。そこに主イエスが来られ『沖に漕ぎ出して網
を下ろし、漁をしなさい』と仰せられた。ペトロは『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろ
してみましょう』と答え、その通りにしてみると、何と、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった」(ルカ5:1−6)。ここが信仰の入口。自分の考
えや立場に固執しないで、主イエスがそうおっしゃるなら、あなたを信じてみましょう。この小さな決断によって神の恵みを体験した。私たちの信仰のきっかけ
も主イエスを信じてみよう。この小さな決断から始まるのです。
次に、主イエスと共に歩む人生で失敗を恐れない。小さな決断から始まったペトロの信仰人生、その後も決断と失敗の連続でした。数ある失敗の中でも一番の
失態は師である主イエスを知らないといって裏切ってしまった。それも3回も、しかし、この挫折がペトロを大きく成長させ、教会を代表する人になっていく、
失敗を通して主イエスの愛を知り、ペトロは信仰者として成長する事ができた。
最後の大きな決断はすべてを主イエスに委ねる。これは大きな決断です。神に「委ねる」とは、運を天に任せ、後はなるようになれというようなものとは違
う。私たちは今こそ、思い切って未来を預ける、委ねる先を持たなければなりません。委ねるお方がある事は、これから先、不安があっても力強く希望を持って
生きる事が出来るのです。「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神があなたがたのことを心にかけていてくださるからです」(5:7)「あなたの重荷
を主にゆだねよ。主はあなたをささえてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる」(詩編55:23)