主日礼拝メッセージ
2019年1月27日
私たちは自分の思い通りに行かないと怒りが込み上げ
てきたり、落ち込んだり、人間関係のトラブルから憎しみも沸き上がります。日々の生活の中で心の乱される事がたくさんあります。そんなとき、そこから抜け
だす方法があります。それは「祈り」です。神様・・・と言って心を向け祈るとき、不思議と怒りや憎しみが静まります。このように祈りには大きな力がありま
す。
また祈りには自分一人で祈る「祈り」と、自分以外の複数の人たちと祈る「祈り」があります。どちらも大切な祈りです。今日は複数で祈る祈りを見ていきま
す。「あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるとこ
ろには、わたしもその中にいるのである」(19−20)。主イエスは「心を一つにして」祈り求めなさいと仰せられました。ただ集まって祈っても、それぞれ
が違う思いで祈っていたら「心が一つ」にはなれません。それは一人で祈っているのと同じです。集まった者が「心を一つに」して祈り求めるとき、私たちの想
像を超えた祝福と、そこに何かが起きます。
教会が誕生する前、使徒たちは共に心を合わせて祈ったことが記されています。ペンテコステの日「一同がひとつになって集まり、心を合わせて熱心に祈って
いた。そこに聖霊が降りました。初代教会の誕生は皆が心ひとつに熱心に祈ることから始まりました。また、あるときヘロデ王がイエスの弟子であるペトロを処
刑しようと捕えて牢に入れ、逃げられないように16人の監視がつけられた。ペトロにとって絶体絶命であった。それを知ったペトロの仲間たちは集まり、心を
ひとつに祈りがささげられた。もはや人間の力ではどうすることも出来ない。彼らに出来る事は神様に祈ることだけでした。そのとき信じがたい事ですがペトロ
が絶体絶命の中から救い出されるという奇跡が起きた。教会の祈りの中で、人間の力を越えた神様の救いのみ業が行われたのです。心を一つにして祈る事がいか
に重要であるか、その祈りの中で神様の大いなる力が発揮された。祈りはクリスチャンの最高の武器です。私たちは共に・心ひとつに祈っていきましょう。
▲ 戻る