主日礼拝メッセージ                                                                                   2019年2月10日 

苦難と感謝
コリント信徒への手紙(二)1章3‐11節
                                                                              山岸 明牧師
  
               

   イエスは「あなたがたは世では苦難がある」(ヨハネ16:33)と仰せられた。私たちを悩まし痛みを負わせる問題をどのようにとらえていったら良いのか。
1.    神は問題を用いて私たちをご自身のもとに引き寄せようとされます。
人生に疲れたとき、人生のどん底にあるとき、神を求め教会へと来られる方が多くいます。痛みは神の拡声器と言われ、私たちが喜びの中にあるときには小さな 声でささやき、痛みの中にあるときには大声で叫ばれます。目を覚せ、あなたの人生どこか違っていないか・・・と「打って傷を与えれば、悪をたしなめる。腹 の隅々にとどくように打て」(箴言20:30)とある。

2.    神は私の身に起こる問題を通して謙虚を教えられます。
私たちは苦難から来る痛みを経験する事によって謙虚にさせられます。人生に大きな挫折を味わった人は挫折した人の気持ちが分かります。苦しみを経験した人 は苦しんでいる人の気持ちが分かります。「神は、あらゆる苦難に際して、わたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、 あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」(1:4)。神は痛みを用いて私たちの人格を整えキリストに似た者にしようされるのです。

3.    問題を通して感謝へと導きます。
聖書は「どんなことにも感謝しなさい。これこそキリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケ4:16)。それは痛ま しい出来事や痛みそのものを感謝するのではありません。「主は助けを求める人の叫びを聞き、苦難から常に彼らを助け出される。主は打ち砕かれた心に近くい まし、悔いる魂を救ってくださる。主は従う人には災いが重なるが、主はそのすべてから救いだし、骨の一本もそこなわれることのないように、彼を守ってくだ さる。」(詩編34:18−21)。とあるように、神は従う者を決して見捨てず、いつも一緒におられることを信じるとき、私たちが苦難の中を歩もうと感謝 出来る幸いな者へと整えられるのです。

 

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