主日礼拝メッセージ
2019年2月17日
主イエスは「わたしにつながっていなさい、そうすればあなたがたは豊かな実を結ぶ」と仰せら
れた。豊かな実とは何か、それは愛の実です。教会の中で愛の実が結ばれ、愛の行為が行われたらどんなに素晴らしいことでしょう。だが愛の実が結ばれていな
い教会だったら・・・愛に飢え渇いている人々はどこに行けばよいのでしょうか。
主イエスに“つながる”という中には
“とどまる”という意味もあります。パウロは「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ
2:20)と言った。パウロがキリストの内に住み、キリストがパウロの内に住んでいた。パウロは常に主イエスにつながっていた。まさにぶどうの木と枝であ
る。私たちもキリストの内に“とどまる”なら豊かな実を結ぶことができる。その実とは「愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制で
す。」(ガラテヤ5:22)。
主イエスは私たちにしっかりとわたしにつながって、とどまって愛の実を結び、日々の生活の中で「互いに愛し合う」ことを願っています。そのためにわたし
があなたを選んだと仰せられた。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残
るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわ
たしの命令である。」(16−17)。
主イエスは結んだ愛の実を与える事を望んでおられます。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うなら
ば、あなたがたはわたしの友である。」(13−15)私を友と呼んでくれる主イエスも私の友でもある。主イエスは友である私のために命を捨てて下さった。
ならば私たちも友である主イエスのために命を捧げていきたい。それは主イエスの友としての証し、ぶどうの木としての証し、クリスチャンとしての証し、それ
は愛の実を結んでに生きること。それが友である主イエスとの友情である
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