主日礼拝メッセージ                                                                                   2019年2月24日 

『招きにふさわしく』
エフェソの信徒への手紙4章1‐6節
                                                                              山岸 明牧師
  
               

 私たちは神に招かれて教会に来ました。それは神があなたを選んだという事です。では何の為にここに招かれたのか?それ は救われるためです。この十字架の恵みを受け取った方もいれば、まだ、受け取っていない方います。受け取っておられない方は一日も早く十字架の愛を受け 取ってほしいと願います。また恵を受け取った方はそれに相応しい生き方をしていきたい

 パウロは1節で「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。」と自らを主の囚人であると自己紹介しました。パウロはキリスト の福音を伝えた事によって生涯において4回投獄されました。今日の箇所はその4回目の時です。この時は牢獄と言うより家に軟禁状態になっている状況でし た。このときにパウロはエフェソの手紙、フィリピの手紙、コロサイの手紙、フィレモンの手紙、全部で4つの書簡を書き上げました。それが獄中書簡と言われ るものです。このときパウロはどこの誰に捕らえられていたかというとローマ軍に捕らえられ監禁されていた。ですからパウロはローマの囚人です。でもパウロ はそう思っていない、パウロは、自分は主イエスの囚人だと信じている。

 ここが大切です。神に召された者として自分はいったい何者なのか、目に見える状況ではなく信仰によって物事を見て行かなければ信じている意味がありませ ん。私たちは何を信じているのか。パウロはわたしがこのような状況になっている事を悲しまないでください、マイナスに思わないでください。この事を通して 福音は広まっていくのだから喜んでくださいと言っています。パウロは自分の人生が確実に神に導かれ、神の計画の中にあることを信じています。

 ローマ帝国が何をしようが、わたしにとってこれが最善だと信じています。私たちが目に見える状況だけを見て判断するのか。それとも信仰を持って判断する のか。パウロは、わたしはローマの囚人だと言って人生を呪って生きる事もできるし、わたしはイエス・キリストの囚人だと言って神を賛美して生きる事もでき る。私たちは自分をどこに見るかです。神の恵みの中に自分を見いだしていくときに、私たちの中に新しい生き方が始まっていきます。パウロにとってこれが召 され者として相応しい生き方だと信じていた。
 

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