主日礼拝メッセージ                                                                                   2019年3月10日 

最良のものを与える
ルカによる福音書 6章38-42節
                                                                              荒木智哉執事
  
               
「与える者は与えられる」この言葉は、世界でも有名な名言の1つとされています。この言葉の通り、心を込めて何かを与えたことで 何か良い結果が返ってきた経験を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、私たちが暮らす社会では、自分や自分の周りの環境に何かを得ることに 目が行きがちになってしまうこともあるかもしれません。

「得たい」「与えたら無くなる」という感覚を私たちは持っているからです。
確かに何かをする際、私たちは時間、財、労力など何かを犠牲にしています。
そういった大切な物を私たちは所有し思いのままにしたいと考えてしまいます。

しかし、聖書では「与える者は与えられる」ということを真理として語っています。自分が所有しているもの、それはすべて神から頂いているものです。私たちはそれを頭では理解していても、そのように受け取れなかったり、忘れてしまうこともあります。

見返りを求めず、神から頂いている良きものを必要とされているところへ捧げていく時、思いもよらぬ祝福が待っているのです。その祝福は、もしかしたら、す ぐには見えないものかも知れません。コリントの信徒への手紙一 3章6節でパウロは「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」と言っています。

良きものを与えていくことによって、神がその行いから祝福を育ててくださるのです。ガラテヤ書6章7節に「人は自分の蒔いたものを、刈り取ることにな る。」とあります。与えるといっても、悪いものを周りへ与えては相応の報いが返ってきます。自分の秤を良くして、その中の最良のものを世に与えていきま しょう。憎しみや恐れ、自己利益や悲観、不平不満の秤ではなく、神の愛によって築かれる信仰の秤。神から受けた憐れみへの感謝、愛の喜び、そのような恵み を受け取る秤の中から、あなたの中にある最良の真実を世に与えていきましょう。それが、私たちの"いのち"が最も潤う生き方へつながっていくのです。
 

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