主日礼拝メッセージ                                                                                   2019年03月17日 

『どこを目指して生きるのか
マタイによる福音書 23章23-27節
ヨハネによる福音書 13章34 - 35節
                                                                              山岸 明牧師
 主 イエスは私たちに「新しい掟を与える」と仰せられた。それは「互いに愛し合う」こと。これが私たちの新しい生き方の規範です。すべての思い・言動がこの規 範に従って生きるということ。それが新しい掟です。新しい掟というからには古い掟がある。それは「互いに愛する」に反する生き方です。また別の何かに従っ て生きること。自分の人生を振り返ってみると「互いに愛する」からかけ離れた生き方をしていた。私の生き方は人に認められたい、評価されたい、必要とされ たい、成功したい。何をやるにも、こういうものが私の原則、行動規範でした。だから自分を評価しない、認めない、受け入れない人には敵対していく、そんな 自分中心の生き方を続けていた。

「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えない ファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。」(マタイ23:25−26)。まさに、このみ言葉は私のことで あった。外側は整えるが内側は強欲に満ち、ねたみ、恨み、憎しみ、それを隠しながら笑顔でふるまい、私はまともな人間のふりをしていた。そんな生き方に限 界がきてとうとう行き詰ってしまった。そこから教会に導かれ主イエスと出会い、新しい掟(生き方)を知った。愛されるような生き方もしてこなかったこんな 私を認めて、赦して、愛してくださっている神がおられる。この方を信じた時、私は自分の人生が変えられた。生きる基準も変えられた。互いに愛すると言うの が自分の行動規範になっていった。

だが古い掟が体質に残っていて昔の掟で考えてしまったり、人と比較してしまったりする。そんな時にはそれを捨てて新しい行動規範に戻るために毎回教会に来 て主イエスに愛されている事を確認し、新しい掟「互いに愛する」を毎週、礼拝を通し、交わりを通して確認していく。今、私たちはここに主イエスの下に来て います。ここで何を得るのか、ここで主イエスの十字架の愛を頂くのです。そして愛されている自分、赦されている自分、癒されている自分を生きるのです。こ こ教会で愛されている自分を取り戻し。新しい掟「互いに愛する」を私の行動規範として社会に家庭に戻って、そこで愛の実践をするのです。

               

 
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