主イエスは十字架にかかられる前夜、弟子たちを集め最後の食事をした。それが「最後の晩餐」です。主イエスがパンと杯を差し出した直後「あなたがたは皆わ
たしにつまずく」(27)と仰せられた。この一言で弟子たちは騒ぎ立った。するとペトロは「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません。」
(29)と豪語した。しかし、この後主イエスが捕らえられ大祭司のところへ連れていかれると弟子たちは一目散に逃げた。あなたとご一緒になら死んでも良い
と豪語したペトロはどうしたか「ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで入って、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた」(54)。
この後ペトロの信仰が崩れていくのです。
ペトロの信仰が崩れて行った原因は何か。
初めに、ペトロは遠く離れて主イエスに従った。主イエスから遠く離れて従うことを選ぶと、信じていたものがだんだんと薄くなり世に飲まれていってしまいます。考えてください。あなたと主イエスの距離はどのくらいか?
次に、ペトロはどうしたか。「大祭司の屋敷の中庭まで入って、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた」(54)。ペトロが腰を下ろし座ったところは主
イエスを非難し、死刑を待ち望み、その目撃者となる人たちの間でした。主イエスから遠く離れて従った結果、ペトロは彼らと共に座り、交わり、彼らにとけ込
み、自ら彼らと同じ者になっていった。まさしく世に飲み込まれた。
最後に、「するとある女中が、火にあたっているペトロを見て「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」(56)。するとペトロは打ち消してあなたが
何のことを言っているのか、わたしには分からない、見当もつかない」(66−68)主イエスとの関係を完全に否定した。これが主イエスから離れた結果で
す。
しかし、ペトロはこのあと主イエスを思い出し「外に出て激しく泣いた」とある。これこそ主イエスに立ち帰る「悔い改め」の涙でした。「神のみ心に適った悲
しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。」(コリント二7:8)。悔い改めは救いへと導くので
す。私たちももう一度自分の信仰を吟味し主に立ち帰ろう。