パ
ウロがアテネで福音を伝えたとき、天と地を造られた創造主の話をすると彼らは大変興味をしめした。しかし、死者の復活を話すと笑われて相手にされなかっ
た。パウロはアテネで主イエスの十字架を前面に出して伝えていく事はしなかった。パウロはコリントに移動し福音を伝えた。コリント人への手紙の1章で「わ
たしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものです。」コリントではアテネ
の体験が生かされ、十字架の福音が大胆に語られた。
ある夜のこと、主は幻の中でパウロに仰せられた。「恐れるな。語り続けよ、黙っているな。」(9)パウロはいったい何を恐れたのでしょう。迫害か、投獄
か、殉教か。それらのことはコリントに来る前に嫌というほど受けて来たこと。では何か?イエス・キリストを伝える事によって愛する同胞、ユダヤ人の間に混
乱が起こり、亀裂が入り、争いが起きてしまう事です。それは単なる愛国心ではなく、神から選ばれた民が割れてしまうこと、それがパウロの恐れでした。
私たちも福音を語ろうとするときにパウロと同じような恐れを抱きます。私が主イエスを信じる事で周囲に(家族や友人、職場)迷惑をかけないか、私が福音を
語る事で混乱が起きたり、関係にひびがはいったりしないか。相手の事を気遣う優しさも必要です。しかし、いつまでもそこに踏みとどまっていたら、本当の救
いがあること、天国の希望があること、永遠の命があること、人生やり直しがある事を伝えることはできません。何故そこまでするのか?それは本気で愛してい
るからです。
主イエスは十字架のとき、ののしられ、つばをはきかけられ、お前が神の子だったら十字架から降りて来いと言われた。しかし降りなかった。どうして?私たち
を本気で愛していたからです。わたしはあなたを見捨てない、どこまであなたと共に行く、その覚悟の上に人間を造り、今なお神のご計画を進めておられるので
す。だから「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたとともにいる。だから、あなたを襲って危害を加えるものはいない。この町には、わたしの
民が大勢いるから。」(9-10)福音を待ち望む人が待っている。