聖書は「嫉妬やねたみ」を大きな問題としてとらえています。「嫉妬」は私たちの生活に混乱と問題を起こしていきます。私たちはこの「嫉妬」に対してどう対処していったら良いのでしょうか。
ある人に二人の息子がいた。弟の方が父親に「お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください」と言った。そこで父親は財産を二人に分け
てやった。すると弟はその財産をすべてお金に変えて家を飛び出し、遠い国に行き酒や遊びにうつつをぬかし、全財産を使い果たしてしまった。弟は食べるにも
困り豚の餌を食べて空腹を満たしていた。それから弟は悔い改めて父のもとに戻った。父親は「この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つ
かった。」と言って喜び宴会を始めた。
それを知った兄は父親に文句を言った。わたしは何年もお父さんに仕えてきました。言いつけに背いたことは一度もありません。だが、子山羊一匹すらくれな
かった。ところが弟に対する父親の態度に嫉妬した兄は怒った。父親は言った「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」
(31)。「弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」ここで「放蕩息子の
たとえ」が終わっている。
他の箇所で「嫉妬」を放置した結果大事件を起こしたことが記されています。聖書に出て来る最初の殺人は兄弟の間で起こりました。兄カインが弟アベルを殺
してしまった。(創世記4章)原因は何か?「嫉妬」です。兄と弟が神に捧げ物をした。神は兄の捧げ物より、弟の捧げ物を喜んだ。それに納得がいかず嫉妬に
支配された兄は弟を殺してしまった。嫉妬は憎しみを生み、相手だけではなく、自らの人格をも壊していきます
今日、神が私たちに伝えたいことは3つあると思います。嫉妬したとき、@神の愛に目を向け、人と比べる事をやめること。A嫉妬するのではなく「共に喜
ぶ」こと。B与えられているものに感謝すること。もし、人に対して「嫉妬」している自分に気づいたなら、相手をねたむのではなく「子よ、お前はいつもわた
しと一緒にいる。」と仰せられる神の愛に意識して心を向けていくことです。