主日礼拝メッセージ                                                                                2019年07月21日 

イエスの12弟子(2)ナタナエル
ヨハネによる福音書1章43-51節
山岸 明牧師
        
      
 主 イエスと出会ったフィリポはナタナエルを見つけ、その感動と喜びを伝えた。「わたしたちはモーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それ はナザレの人でヨセフの子イエスだ」(45)。するとナタナエルはすぐに反応し「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(46)と言った。ナタナエルは 聖書の事を良く学んでいたのでナザレからメシアは出ないと信じていた。

 それを聞いたフィリポは無駄な議論を避け、それなら「来て、見なさい」と言って、ナタナエルを主イエスのもとに連れて行った。主イエスはナタナエルがご 自分の方に来られるのを見て、彼の事をこう言われた。「見なさい、まことのイスラエル人だ。この人には偽りはない」(47)。ナタナエルは「どうしてわた しの事を知っておられるのですか」と言うと、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」(48)と言われ た。これを聞いてナタナエルの態度が一変し「あなたこそ神の子です。」(49)と信仰告白をした。この会話に一体何が起こったのでしょうか?

 ナタナエルは「いちじくの木の下」で何をしていたのか?ユダヤ人にとって「いちじくの木」とは平和と静けさの象徴です。彼らは「いちじくの木の下」に 座って律法を学び、黙想をする習慣があった。ナタナエルは「いちじくの木の下」で黙想し、メシア(救い主)の到来を祈っていた。主イエスはその姿をご覧に なり、この人はまことにイスラエル人だと言った。あなたの神を求め、神に従おうとする姿勢こそ、まことのイスラエル人だ。

 では、まことのクリスチャンとは何か、洗礼を受け、教会にも来て、聖書も読み、お祈りもする。素晴らしい事です。でも「まことに」と言われたら・・・考 えさせられます。私たちにとっての「いちじくの木の下」とは何だろう?それは主イエスに出会う事を真剣に求めること、そこにはたくさんの葛藤がある。だ が、その姿を主イエスはご覧になっておられる。そこで私たちは必ず主イエスと出会う事ができる。そして「もっと偉大なことをあなたは見る事になる。」 (50)と約束し、わたしのところに「来て、見なさい」と仰せられる。

         

 
 戻る