マタイは自分を紹介する時に「徴税人マタイ」と呼んでいる。わざわざ「徴税人」の名前を出すところにマタイのこだわりと大きな意味があった。当時ユダヤは
ローマの属国であることから税金を徴収されていた。その働きをローマから委託されて行うのが徴税人であった。彼らは同胞から徴収し、また不正に取り立てる
ので裏切り者、人でなし、虫けらと呼ばれていた。徴税人は罪人の中の罪人と呼ばれ、会堂への出入りが禁止されていた。それは神の民から除外され、神から切
り離されると言うこと、マタイはそれを知りつつ神を捨て、人との関係も切り捨てて徴税人になった。
そのマタイが主イエスと出会って変えられた。わたしは徴税人、神に背を向けていた罪人。そのマタイが主イエスの一言で変わった。「イエスはそこをたち、通
りすがりに、マタイと言う人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った」(9)。
何故、主イエスはマタイを招かれたのか?それは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(13)。マタイという人の罪を
見たのです。自分から神を切り離し、否定し、神などいらないと言って背を向けている罪を見たのです。主イエスは罪を持っている者は要らない、自分から離れ
行った者など知ないとは言わず、罪人をも愛し招いたのです。
マタイはこの後、徴税人や罪人を招いて主イエスと一緒に食事会を開いた。マタイが求めていたのはお金ではなく、本当の愛だった。マタイは人一倍、愛された
くて、認められたくて、人恋しくて、寂しかった。その愛(主イエス)が今、マタイのもとに来られたから、もう徴税の仕事はいらなくなった。
マタイと言う名前は「神の賜物」という意味があります。私たちも神の賜物です。主イエスがマタイを必要とされ招いたように、その賜物を用いようと主イエスがあなたを必要とされたのです。主はあなたを用いたいと願っています。そして「わたしに従いなさい」と。