ヨハネ福音書13−17章は最後の晩餐の時に語られた告別説教と言われている。主イエスは弟子たちと歩まれた三年間に幾度となく十字架、復活、天に帰る
事、そしてまた戻ってくることを話された。いよいよ十字架が迫ってきたとき、弟子たちに「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っていると」
(4)と言った。するとトマスは「わたしたちには分かりません」と答えた。もう既に知っていると言われたら、中々、知りませんとは言いにくい、だがトマス
は分からない事があれば分からないとはっきりと言う人でした。主イエスに対して一歩踏み込んだトマスの問いに「わたしは道であり、真理であり、命である」
という最高のみ言葉を引き出した。
主イエスの十字架の死後、今度は自分たちが捕らえられ、殺されるかも知れない不安と恐怖の中で弟子たちは家の戸に鍵をかけ身を潜めていた。そこに復活の
主イエスが現れた。弟子たちは驚きと喜びにあふれた。しかし、このときトマスはそこにいなかった。トマスが戻ると弟子たちが復活の主を見たといった。だが
トマスは弟子の言う事を信じず、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れて見なければわたしは決して
信じない」(25)と言った。ここから疑い深いトマス、不信仰のトマスと言われるようになった。
それから八日のち、今度はトマスがいるときに主イエスが現れてくださった。そして「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手
を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」そして「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と仰せられた。トマスは告白した。「わたしの主、わたし
の神よ」。疑い深く不信仰なトマスから最高の信仰告白が引き出された。
キリスト教の歴史には多くの迫害があった。これからもあるだろう。だが、この信仰告白こそ教会の、そして私たちの信仰の土台である。主イエスが私たち一
人一人に仰せられる。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」に対して「わたしの主、わたしの神」と告白したい。