主日礼拝メッセージ                                                                           2020年1月26日 

いつも喜んでいなさい

テサロニケの信徒への手紙(一) 5章16-18節(新約 p. 379)

伊藤真知子音楽伝道師(百合ヶ丘教会)


  【伊藤真知子音楽伝道師 略歴】
東京バプテスト神学校教会音楽専攻科、神学本科卒業
多摩川キリスト教会音楽主事
アメリカバージニア州プロヴィデンス・バプテスト教会日本語部協力牧師
越谷伝道所、町田伝道所牧師を歴任
現在百合丘バプテスト教会会員、東京バプテスト神学校教会音楽科講師
日本バプテスト連盟新生讃美歌検討委員会議委員
音楽伝道師として教会を巡回する

【礼拝メッセージ】 
    
聖書の時代に生きる人たちにとっても、現代を生きる私たちにとっても「喜ぶ」ことは当たり前のことのように思いますが、「いつも喜ぶ」「どんな時も喜ぶ」 とは、たいへん難しいことではないでしょうか。本日はパウロの手紙から「喜び」について御言葉をいただきたいと思います。
 パウロは鞭打ちや石打で半殺しの目に遭おうとも、船が難破したり、人に騙され、盗まれ、飢え死にしそうになった時でさえも「いつも喜んでいなさい」と語りかけています。
 生きていると、納得のいかないような理不尽な出来事に見舞われます。人生には別離の悲しみがあり、経済的な不安、健康上の悩み、人間関係のトラブルなど の諸問題が押し寄せてきます。試練にあった時、人は「なぜ私が?」「どうしてこんなことになるの?」「私が悪いの?」「ごめんなさい」と、反発したり否定 したり、自分を責めたりして混乱します。
しかし本当に大切なのは、「何を」「何のために」神さまはそれをされようとしているのか、このことによって、何を教えて下さろうとしているのかを問うことです。その状況を通して、そこには神さまの御むね、ご計画が必ずある。神さまは目的を持っておられる方だからです。
 そして「いつも喜ぶ」ことができるために大切なことは時代を問わず、常に神さまの支配を信じる者として立たされ続けるということです。そのような中か ら、自分が今神さまから求められている働きは何かを、徐々に示されていきます。その時こそ、力を得てその道に進むことができるのだという確信が湧き上がっ てきます。そこからキリスト者として本当に喜んで生きる生き方が始まるのです。


 
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