主日礼拝メッセージ                                                                           2020年2月9日 

キリストに似た者になる

エフェソの信徒への手紙4章22-24節 (新約 p. 357)

山岸 明牧師


   神はパウロを通して仰せられた。「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました」(ローマ8:29)。耳 を疑いたくなりますが、私たちを主イエスに似たものにしようと定めたというのです。そこで、私たちは何をしたら良いのでしょうか?

 初めに、キリストに心をむける。
私たちの心は自動的に主イエスに向くわけではありません。何もしなければ主イエスから離れていきます。故に私たちは意識して自分の心を主イエスに向けてい くのです。パウロは手紙の中で次のように告白しました。「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。」そのとき、 パウロは「十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めた」(コリント一2:3)。パウロは自らに心を意識して主イエスに向けていきました。

 次に、聖霊の働きに協力する。
主イエスが行ったことを模範にしたら変われるのか?答えは変われません。主イエスの真似をしたら愛の人になれるのか?なれません。主イエスの真似をしたら 善人のようになれるのか?なれません。私たちは自分の力だけで主イエスに似た者になることはできません。聖霊の助けを頂き、私たちも聖霊に協力していくこ と。私たちが信仰によって一歩を踏み出したとき、聖霊は力を発揮されます。そこに恐れがあっても、感情が伴わなくても、弱さを覚えながらも前進するとき に、聖霊が働かれ、私たちを変えてくれます。

 最後に、神のみ心を知り、み言葉を実践する
主イエスが十字架にかかられたのは、私たちが快適に暮らし、この世と歩調を合わせて生きるためではありません。神が私たちに願っている事はキリストに似た 者に成長すること、そしてキリストのように「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛していく」ことです。み言葉を実践していくときに霊の実を結んでいくの です。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22−23)。


 
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