主日礼拝メッセージ                                                                           2020年3月1日 

学びと実践

ヤコブの手紙1章19−27節(新約 p. 422)

「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」

山岸 明牧師


 私たちは礼拝を通して、聖書の学びを通して御言葉を聞きます。パウロは「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる のです」(ローマ10:17)と言った。信仰のスタートは聞く事から始まります。次に聞いたらどうしますか?あ、そうですか・・・で終わってしまったら意 味がありません。御言葉は神の生きた言葉ですから、聞いたら信じて受け入れるのです。では、その次にどうしますか?聞いて、信じて受け入れたら、御言葉の 実践です。御言葉を行う者になるのです。

 主イエスは仰された。「わたしを主よ、主よと呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか」(ルカ6:46)。聖書を学んで御言葉を聞いて、そこに 慕っていれば良いというものではありません。聖書の御言葉を実生活の中で行うのです。ヤコブは「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終 わる者になってはいけません」(ヤコブ1:22)と言った。行いを通して御言葉を身につけるのです。

 「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」(ヨハネの手紙の3:18)とある。例えば愛するとは・・・を考えてみます。どん なに愛を考えてみても、どんなに愛を論じ合ってみても出来るものではありません。愛を行っていく、実行していくとき愛が何であるかが分かるのです。私たち は「十字架の愛」という言葉を何度も聞いています。でも、よく分からないという方が多い。どうしたら分かるのか?それは愛を実践していくときに、十字架の 愛はとんでもない愛であることに気が付きます。

 私たちが学ぶ半分以上の事はこのような時に学ぶのです。50%は説教や分級から学びます。しかし、残りの50%はメッセージを実践するとき、もし御言葉 の実践がなければ半分しか学ぶ事しかできません。しかし、御言葉を行っていくならば、聖書が言われる多くの事を学ぶ事ができます。それは、愛すること、忍 耐すること、互いに仕え合う事など、これは、説教を聴いたり、聖書の学びをしているときには決して学べないのです。実践している時です。「学びと実践」が 必要なのです。


 
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