主日礼拝メッセージ                                                                           2020年3月8日 

『礼拝って何ですか?

ヨハネによる福音書 4章21-24節(新約 p. 169)

「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」

井馬佐紀子執事

 わたしたちが毎週行っている礼拝を説明しなさい、と言われたら意外と難しい のではないでしょうか。『礼拝』を辞書で調べると、神を拝むこと、と書いてあります。私が礼拝を説明しようと思った時、シンプルなその言葉は出てきません でした。祈りや賛美、御言葉、説教を聴くなど様々な要素を通して礼拝を行なっているからではないかと思います。
 ある方は“礼拝は心がその必要なもので満たされることでもなく、あるいはその祝福で満たされることでさえなくて、神ご自身のことのみに心を注 ぎ出すことである”と言葉にされました。何か恩恵を受けるために礼拝をするわけではない、ということ。そして父なる神、イエス様がどんなに素晴らしい方で あるかを知り、褒め称えることこそ礼拝であるとこの方は言われているのです。
 主イエスは礼拝について「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように 礼拝するものを求めておられるからだ。」(ヨハネ4:23)と言われました。父なる神が、わたしたちに礼拝することを求めておられるのです。礼拝は人間側 からではなく、神の主催によって行われることを覚えたいと願います。
 神を崇め、拝むということに関してもう一箇所、大切にしなくてはならない言葉があります。主イエスの言われた「『心を尽くし、精神を尽くし、 思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。」(マタイ22:37)であります。すべてを尽くして愛されるこ と、礼拝されることを神は求めておられます。いきなりそうしなさいと言われても難しいものでありますけれども、少しでも神の喜ばれるようにしよう、と努力 する姿を神は喜ばれるのだと思います。またそうした姿勢の中にいる時、主は私たちにより多くを語りかけてくださるのだと思うのです。
 礼拝をより豊かにしたいと願う時、いかに礼拝するか、ということばかりに考えがいってしまいます。しかし方法ではなく、どなたを礼拝している のかを共に追求していくことこそ、本当に必要なことのように思わされます。主に喜んでいただける礼拝を、共に作り上げていきたいと願います。

 
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