本日の個所はパウロの「遺言説教」と言われています。パウロはミレトスに滞
在していたとき、約50k離れたエフェソに人をやって、それぞれの教会の長老たちに集まってもらいました。そこでパウロは自身の覚悟を伝えました。「わた
しは、聖霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分りません。ただ、投獄と苦難がわたしを待ち受けていることはだけ
は、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強
く証するという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」(22−24)。パウロは自分がエルサレムに行ったら、生きて
帰れないことを悟ったのです。
そして、集まった長老たちに二つのことを託しました。一つは、残忍な狼どもが教会に入り込んできて群れを荒らす。だから、あなたがたは主の教えを思い起
こして、目を覚ましていなさい。そして、もう一つ、弱い者、貧しい者を助けるように。「イエスご自身が『受けるより与えるほうが幸いである』と言われた言
葉を思い出すように。」(35)神は私たちを愛するがゆえに御子イエスをお与えくださりました。「神は、その独り子をお与えになるほどに、世を愛された」
(ヨハネ3:16)とあります。
パウロがエルサレムへ行くと、聖霊が仰せられた通りに、このあとパウロは捕えられ裁判にかけられた。このときパウロは死を覚悟した。でも悔いはない、自
分は主に仕えてきたから。しかし、ここから話は急展開していくのです。パウロはローマ市民権をもっていたので皇帝に上告することができた。それによって
ローマに護送されることになった。パウロは今まで何度もローマに行って福音を伝えたいと願っていた。しかし、いつも何かに阻まれて行くことが出来なかっ
た。「何回もそちらに行きたいと企てながら、今日まで妨げられているのです。」(ローマ1:13)。パウロは命を捨てる覚悟でエルサレムに来ました。そし
て、聖霊の仰せのとおりに投獄と苦難を受けました。しかし、そこからパウロが望んでいた道が開けたのです。まさに、捨てる覚悟が道を開いたのです。