イースター礼拝メッセージ                                                                           2020年4月12日 

『復活・確かに未来はある
 
  コリントの信徒への手紙㈠15章19節
「この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。」



山岸 明牧師


 主イエスは金曜日に十字架につけられ殺され墓に葬られた。十字架の 死によってすべてが終ったとだれもが思った。日曜日の朝、女性たちが墓に行ってみると、墓をふさいであった大きな石が取り除かれていた。女性たちが墓の中 を見ると主イエスのご遺体は無かった。女性たちが途方にくれていると、天使があらわれ「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたように、復活な さったのだ。」(マタイ28:6)と告げた。女性たちはびっくりして、この出来事を弟子たちに伝えた。弟子たちは女性の話を聞いて「たわごとだと思った。 そして信じなかった」(ルカ24:11)と記されている。

 聖書は主イエスの復活を、私たちに理解させようとか、納得させるようとか、その部分だけを特別に多く取り上げている訳でもなく、当然のように主イエスは 復活した事を書き記している。まさに「神にできない事は何ひとつない」(ルカ1:37)とあるように。逆に『復活』と聞いて、あなたがたは何を驚いている のか、あなたの”ものさし”で神の力をはかるな、その小さな脳で、あなたのたった数十年の人生経験で、そんな事があるはずが無いと言って、結論づけてはな らないと言います。

 しかし、復活が真実であり、どんなに素晴らしい事であっても、自分と関係のない出来事とするならば、私たちには何の力にもならず、喜びにもなりません。 だが、復活された主イエスを信じるならば、新しい命を頂き、新しい自分となって生まれ変わる事ができるのです。なぜならば「わたしはよみがえりであり、命 である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(25)と主イエスは仰せられた。また、私たちが主イエスにかける望みはこの世のことだけではありません。 それは死んでも生きる世界、永遠の命です。
 復活の主イエスと共に歩む者は、人生で色々な問題が起きても、必ず解決の道を、忍耐する力を、それを乗り切る力を与えてくれます。そして、私たちは人生 の中で死を打ち破って、世に勝利された主イエスの愛を永遠に至るまで体験します。神が与えてくださる新しい命をぜひ受け取ってください。


 
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