主イエスの周りにはいつも多くの人々が集まっていた。ほとんどの人が人生に問題を抱え思い悩んでいる人々だった。経済的な困窮者、病者、人生に失望する者、日々の生活に不安を感じ、心配事に悩む者、主イエスはその人々に「思い悩むな」と仰せられた。
人生に思い悩みを持っている人々に対して「思い悩むな」というのはどういう事か?「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうか
と、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。」(25)。ここに大切なメッセージがあ
る。
私たちは気を付けないと自分の悩み、心配事、思い煩いをいつのまにか、自分の生活の主人公にしてしまう。自分の存在よりも悩みのほうが重くなり、自分の不
安・心配のほうが命よりも大きなものにしてしまう。そして自分の悩み不安に振り回されてしまう。この社会に生きて悩みのない人はいません。不足もいっぱい
ある。でもそれを人生の主役にしてはいけないです。
そこで主イエスは「空の鳥を見なさい」「野の花を見なさい」と仰せられた。神によって養われている鳥、神によって生かされている野の花、こんな小さなも
のにも神は御心を傾けてくださっている。天の父はあなたがたに必要なものはすべてご存じであると。今、私たちが求めるべきものは、私を不安にさせ、心配さ
せ、思い煩わせている問題から目を離し、神の祝福に目を止めること。「何よりもまず、神の国と義を求めなさい、そうすれば、これらのものはみな加えて与え
られる」(6:33)。それは神の働きによってもたらされる解放・平安・喜びを求め、神による決着を求めること。
私たちは一日、一日しか生きられない。昨日にも戻れない、明日の事も分からない。私たちに出来ること、それは今日を生きること。そして、私に命を与え、
今も生かしてくださっている神に心を向けること。今、私たちはコロナウイルスの影響で不要不急な外出ができません。今だからこそ、自分の過去を振り返り、
神が私にしてくださった事を思い起こしてほしい。