「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激
しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」
(2:1)。主イエスの復活から50日目に、集まり祈っていた彼らの上に約束どおり聖霊が注がれた。「ただ聖霊がくだる時、あなたがたは力を受けて、地の
果てまでわたしの証人となるであろう。」(使1:8)が始まった。
聖霊は神の霊であり、生命そのものである。聖霊が教会を立ち上げられ、その使命を与えられた。故にペンテコステは教会の誕生日と言われます。当時、弟子
たちは最悪の状況に置かれていた。だが聖霊に満たされた弟子たちは力を頂き前進し続けた。組織でもなく制度でもなく、プログラムもなく、看板もなく、人の
知恵からくる主義主張でもなく、ただ聖霊を受けた一人一人の中から新しい霊的革命が起こり、キリストの使命を果たすべく教会活動始まった。
私たちの現実の生活も当時と変わらず、綺麗ごとではすみません。次々に問題が起こり、解決できない事もたくさんある。私たちの心をかき乱し、神から私たち
を離そうとするサタンの働きもある。この社会には何とも言えない霊的な渇きがある。物に溢れても満たされない心の渇きです。
しかし、この社会がどうであれ、教会に聖霊の満たしがあるならば、この場にキリストの愛が見える形で表されていくならば、飢え渇きを持った人々は教会に
満たしを求めて押し寄せて来る。今、私たちに必要なのは、あの弟子たちが聖霊によって変えられたように、私たちも聖霊に満たされて、自身の中に霊的革命が
起こり、霊に燃え、生き方が変わること、すると礼拝が活き活きとなり、それを見た人々は神を感じて求め始める。「主の名を呼び求める者はだれでも救われ
る」(21)が始まる。また聖霊は私たちに力を与え、キリストを証していく者にしてくださり、人生の中で良き霊の実を結ばせてくださいます