主日礼拝メッセージ                                                                              2020年7月26日 

知識を超えたキリストの愛(1) その長さ

コリントの信徒への手紙㈠13章4−7節  
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、
いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」



山岸 明牧師

 
 パウロはひざまずいて祈った。知識を超えるキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知ることができますように。主はエレミヤを通して仰せられた。「わた しは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ」(エレミヤ31:3)。永遠に変わることのない愛、それがキリストの愛の長さで す。

 私たちは相手に愛がなくても、その人を愛し続けることができるでしょうか。相手が私に不誠実でも、私は変わらずに相手に対し誠実であり続けることができ るでしょうか。正直、できません。私たちの愛は、誠実さは状況によって変わってしまいます。しかし、キリストの愛はどんなことがあっても永遠に変わらない のです。

 愛は忍耐強い。」(コリント13:4)とあります。この愛をキリストに置き換えてみてください。キリストは忍耐強いとなります。この忍耐には動かない、 また変わらない、という意味が含まれています。キリストの愛は動かない(ぶれない)、そして変わらない、私たちが今も信仰者でいられるのも、私の信仰が強 いからでもなく、私が神に対して誠実だからでもありません。キリストの愛が絶対に、そして永遠に変わることがないので、私たちの信仰生活は保たれているの です。
ヨハネの黙示録の3章に主イエスが「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(20)と仰せられている。

 主イエスはいつも私の心の戸を叩いておられる、本当は外から強引にでも入ることはできるが、主イエスはそうはしない。私たちが自らその心の戸を開けるま で、忍耐をもって待っておられる。『わたしの愛の元に帰ってきなさい』、『わたしと共に生きよう』と、神が信じて、希望を持って、私たちを待っていてくだ さる。これがキリストの愛の長さです。キリストの愛の中に思い切って飛び込みましょう。

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