主日礼拝メッセージ
2020年8月16日
「パウロの情熱と配慮と気遣い」
テモテへの手紙二4章17節
「しかし、わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、
主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。そして、わたしは獅子の口から救われました。」
山岸 明牧師
ローマで捕らわれの身となっていたパウロは、自らの死が近いことを悟り、この手紙を書きました。故にパウロの遺言状とも言われている手紙です。年齢的にも高齢となり、晩年の孤独や寂しさもあったが、福音に対する情熱は衰えることはなかった。
福音を伝えることにおいてパウロに妥協はなかった。年老いたから、獄中にあるから、寂しいから、それらのものはパウロの伝道への情熱を妨げる事にはなら
なかった。伝道においてパウロは生涯現役でした。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(2)
またパウロの手紙には共通点が多く、挨拶から始まって、結びの言葉「○○さんによろしく」で終わっている。ここにパウロの配慮と気遣いを感じます。挨拶
ひとつで、その人の人柄や人間性が見えてきます。たかが『挨拶』されど『挨拶』です。『おはようございます。』『こんにちは。』『こんばんは。』『お元気
ですか。』『ありがとうございます。』『感謝しています。』『お疲れ様でした。』これは相手に対する気遣いでもあり、そして、あなたの存在を大切に思う、
意志の表れでもあります。
挨拶は人間関係にとって、とても大切なコミュニケーションの入り口です。主イエスは神と私たちの関係が大切なように、人と人との関係も大切である事を教
えています。「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛しなさい」(マタイ12:33)十字架の縦のライン、神と私との関係、十字架の縦のライン、私と隣人
との関係、横のラインはどうでしょうか、十字架になっていますか?
挨拶も愛の行為の一つです。人間関係の中で私から愛する事を始めてみましょう。愛はどんなに黙想しても、論じてみても、どんなに学んでもできるものでは
ありません。愛は、愛することによってのみ成長していきます。初めは傷ついたり、理不尽を覚えるかも知れません。もう嫌だと思うかもしれない。しかし、神
に愛されている事を信じ、出来る事から少しずつでも人間関係を築いていくならば、愛の業は必ず育ち、ついには相手との関係の中で豊かな実を結びます。
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