コリント教会では様々な問題が起こり、混乱と争いが起こっていた。分派争い、
不道徳、偶像問題、秩序の問題など、教会とは名ばかりで内情は人間のエゴが渦巻いていた。パウロはこの事態を深く受けとめコリントの信徒たちに手紙を出し
た。パウロは手紙の冒頭で「コリントにある神の教会、聖なる者とされた人々」(1:2)と書いた。教会の現状とパウロの思いに、大きな隔たりを感じます。
パウロは手紙の中で人間を3種類に分けて説明し、すべての人が霊に生きる人になるよう勧告した。
自然の人:神を知らずに生きている人、「自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません」(14)。故に人生の中心はいつも「わたし」です。自
分の考え、思いが最優先され、自分の栄光だけを求める生き方です。そこには神に頼る必要も、祈る必要も感じないのです。すべてはこの世の価値観と欲望のま
まに生きる生活なのです。霊のない人には霊的なことは理解できないのです。
肉に生きる人:『自然の人』とどこが違うのか。肉の人は主イエスを信じて受け入れ、霊の命は持っている。しかし霊に従って歩むことが出来ず、こ
の世の価値観に流され霊の実ではなく、肉の実を結んでしまう人。パウロは肉に生きる人を「キリストにある幼子」だと言った。コリントの教会の人たちは、神
の救いを受けている「聖なる者とされた人々」でしたが、実生活は肉に生きている人たちでした。パウロは言う、聖霊を悲しませてはいけません。霊の火を消し
てはいけません。『肉に歩んでいる人』は『霊に生きる人』になりなさい。
霊に生きる人:パウロは「わたしたちはキリストの思いを抱いています。」(16)と言っています。霊に生きる人とは、物事に対して主イエスと同
じ思いで考え行動していくのだと言います。パウロがコリント教会の人たちに「聖なる者とされた人々、コリントにある神の教会へ」と言えたのは、パウロはど
んな状況の中においても主イエスの思い(霊の思い)をもって見ていったのです。まさに「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和である」(ローマ8:5)